サマリア

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ヨジンとチェヨンは親友同士。2人でヨーロッパ旅行へ出るために、チェヨン援助交際をし、ヨジンはそれを嫌いながらも、見張り役をしている。ある日、警察に踏み込まれたチェヨンは、いつもの笑顔を浮かべたまま、窓から飛び降りて死んでしまう。ヨジンは、そんなチェヨンの罪滅ぼしのために、相手の男たちにお金を返しはじめる。しかし、ヨジンの行動に気付いた父、ヨンギは、やり場の無い怒りから、男たちへ制裁を加えはじめた。


寝た男の職業を聞いたり、親友に見張りとお金の番を頼んだりすることから考えて単純にヨーロッパ旅行にいきたくてしてることだと考えにくい。窓から笑って飛び降りるシーンがその証じゃないかと思う。
 旅行も援助交際も「やるって決めた」ことにだけ根拠があって、そのなかでどう楽しむか、どう人と関わるかに情熱が注がれる。でも若いってそういうことかも、とも思う。

ヨジンの「罪滅ぼし」(なんであれが罪滅ぼしなのかはやはり理解しがたくて、だからこそ見てしまうのかもしれない。)や、父の復讐は現実/生活に戻ることを拒否したい気持ちから来ているように見える。
 現実は変えられない。手に負えない。娘の売春を知った父の立場でいえば、娘を尾行して売春の相手に危害を加えるよりも、娘に自分が売春の事実を知っていることを話してやめさせることができるのにと思うのは私だけではないだろう。

物語が無く、自分の力が及ばない日常から物語を作りこみ逃げるという話といえば「モーヴァン」という映画を思い出す。

モーヴァン

小説を残して自殺した恋人をバラバラにして埋めて、彼の残したお金で親友と旅に出る。彼の死にショックを受けながらも、誰にもその死を伝えず自分の名前で小説を出版社に送って編集者に会ったする主人公はやはり自分だけ現実に取り残されたくないと思っているようだ。死者の人格を自分が演じてしまうところもこのサマリアのヨジンと被る。

ただその「現実」への対処はヨジンとその父では違ってきている。あまりのホラー父ぶりに娘まで殺すのかと思わせたラストは、大人の現実と子供の現実にそれぞれ戻っていく。そのどちらも元の日常とは違う、というか違うように2人とも仕向けたのだ。

どこかでテーマは「道徳」という書いてあって、韓国社会を知らないとその背景は読めない気がした。ただ少女買春をした男への復讐というところが日本ではないかな、と思う点だった。